のらみゃんとひろのそうさくこうぼう

●絶滅動物、誰の思惑?2015年04月20日 22:20



この間、

 350年前に絶滅したと思われていた
 ドードー鳥が、生きていた!

というニュースがありました。

トカゲの生態観察用のカメラに
動いているドードー鳥らしき
鳥が、写っていたんです。

まだ、動画が信頼できるものか
分からないようなんですが、
本当だったら、とても嬉しい!

2012年に絶滅した、とされている
九州地方の熊も、最近になって
目撃情報があったりして、
こちらにも、注目しています。


動物の絶滅、ほとんどが
人間の仕業です。

食料として狩ったり。

スポーツ感覚の
狩猟で殺したり。

害獣扱いして、
駆除してしまったり。

環境を破壊して
住む場所を奪ったり。

家畜として人間が持ち込んだ
動物が、生態系を狂わせて絶滅した、
なんていう例もあります。

ドードー鳥絶滅は、
これが原因だそうですね。


わたしは動物が好きなので、
そんなことは、あってはならないと
思っています。

だから、保護活動に関して
出来ることは協力します。


…ただ、ちょっとだけ
気になることがあるんです。

 人間が、自然を
 壊してはいけない

という言い回し。

 自然を守ろう

というスローガン。


これらは多分、大いなる
勘違いだと思うんです。


恐らく、人間という生物が
誕生した段階で、こういうことが
起こることは、自然からしたら
折り込み済み、なんだと思うんです。

もし、生物に何らかの役割が
与えられているのだとしたら。

地球上の動植物の生態系を
引っ掻き回すのって、
人間に与えられている
役割のひとつなんじゃないか?
…とも思うんです。


もっと言ってしまえば。

動植物っていうのは、
基本的に、やりたいようにやって、
生きたいように生きてるわけです。

自分以外の動植物の事なんて
考えてません。

美味しい果物があるけれど、
今、全部食べちゃったら、
後々食べられなくなっちゃうかも
知れないから、残しておこう。
…なんてこと考えません。

それでも成り立っているのが
自然、な訳です。


でも、人間が同じように
やりたいようにやったら、
どうなってしまうだろう?

現時点でも、その気になれば
地球を丸ごと破壊できるらしい。

…ということは。

地球の活動に、止めを刺す
こともまた、自然が人間に与えた
役割のひとつ、なのかも知れない。


そういう風に考えると。

何が善で、何が悪か、なんて
分からなくなっちゃいます。


例えば、わたしたちが住んでいる
「宇宙」というものが、実は、
何かの生物の腹の中だった
…と、仮定しましょう。

で、地球が、腸の中の
善玉菌、みたいな物だとしたら
それを破壊する人間は、
ウィルスみたいなものですよね。

でも、地球の方が悪玉菌だとしたら
それを破壊する人間は、
白血球のような、免疫の
働きであるわけです。

けれど、わたしたちの住んでる
宇宙自体が、さらに外側の
宇宙に対して害悪なのだとしたら、
免疫の働きをしてる方が
悪、なのかも知れない。


こういうこと、あり得なくは
ないと思うんです。

ほら、わたしたちの体の中に
住んでいる微生物からしたら、
わたしたちの体は、宇宙そのものな
訳ですから。

ビッグバンが起こった瞬間から
宇宙は膨張し続けている、なんてのも
宇宙が生物だ、と考えれば
説明、つきそうですし。

 ビッグバン = 受精

という理屈で。


…ちょっと、話が飛躍して
しまいましたが。

何が言いたいかというと。

生物の行く末に関しては、
何が正しいのかなんて、
誰にもわかりゃあしない、
っていうこと。

善悪の基準に乗るような
ものではないんだと思います。

というより、自然っていうのは
善悪で判断できるような
単純なものではないんです、きっと。


だから。

我々は、我々の「好み」によって
動くべきなんだと思います。

動植物には、それを選ぶ
知能はありません。

人間には、それがある。

行く方向を、自分で決められる。

素晴らしいことですね。
そして、苦しいことでもある。

でも、せっかく決めても良いって
言うのなら、苦悩してもなお
創造するべきだと思います。


わたしは、地球の息の根を
止めるのよりは、未来永劫
続くようにする方が、好みかなぁ。

ただ、ひとつだけ確実に言えること。

 自然 < 人間 = 自然を守る

ではなくて。

 自然 > 人間 = 自然に守られる

が、真実だと思います。


ドードー鳥に、会いたいなぁ!

コメント

_ 山さん ― 2015年04月20日 23:39

これに、宗教的観念を当てはめて見ると

キリスト教
神→人間→自然

イスラム教
神→自然→人間

神道
自然→神→人間

こうなります。

乱獲やら破壊って、日本では明治維新以前は見られなかったんですよね。
近代化の影響も有るでしょうが、宗教的価値観の違いも有ったと思いますね。
山に女は入るな!海の安泰を願うなら女差し出せ!
とか、神様にも性別が有って其処に立ち入るのは一歩身を引けと言う教えも決定的に違うんですよね。

西洋では、「物に感謝する」と言う習慣は無いそうです。
あらゆる物に神が宿ると、幼い頃から教えて貰っていた世代の差も有りますが神道ではこうですね。

感謝と、敬いと、畏れ

これが昨今、無さすぎるのが原因かも知れませんね。

_ のら2ゃんれい ― 2015年04月21日 12:18

そういえば、メジャーリーグで
日本人選手が活躍するように
なったのがきっかけで、
知ったんですが…。

あちらの選手は、
自分でバットやグローブを
手入れしないんだそうです。

仕事道具に対する考え方の
ドライさには、本当にびっくりしました。

そういう仕事をする人は別に居るから、
自分は使うだけでいい、と。

確かに、そんな割り切り方も
ひとつの考え方だと思います。

でもやっぱり、使っている道具は
自分で手入れして、大事にしたい。

日本人って、しっかりと教育されますよね。
わたしもそうでした。

まさに、物に感謝する、
物にも魂が宿っている、という考え方。

西洋と日本、どっちが上か下か、という
話ではなくて、やっぱりわたしは
日本古来の考え方が、好きです。

インターネットも普及して、いろんな文化が
生活に入り込んでくるようになりましたが、
感化される前に一呼吸置いて、
日本の良さを、再認識したいですね…!

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://nora2yan0.asablo.jp/blog/2015/04/20/7615891/tb


のらみゃんとひろのそうさくこうぼう